サヨナラ好きな人
2年半応援してきた推しを降りることにしました。
降りることにした、というと語弊があるのかもしれない。
実は今月始まる舞台もあるし、来月には泊りがけでの彼の誕生日イベントもある。
舞台のチケットは全公演分集めた(なんならいまのところ鬼のように余ってもいる)し、誕生日イベントも二泊三日とかいう気の狂ったコースで当選したし、支払いも済んでいる。
舞台のビジュアルは推せなかったからなんとも言えないけど、たぶん誕生日は楽しみにしていたんだと思う。
でも、もう行きません。
行かないって決めたいま、案外となんの感慨もない。
悔しいって気持ちもなければ、悲しいって気持ちもない。
じゃあ清々しいのかって聞かれたらそんなわけないだろうって叫んじゃう気がする。
彼の人懐っこい笑顔が好きでした。
形のキレイな鼻筋が好きでした。
こめかみのホクロと、わたしと同じ場所にある鼻のホクロが好きでした。
大きな手が好きでした。
本を読むとき、伏せられた目の真剣な眼差しが好きでした。
いつでも一生懸命な姿が好きでした。
いつまでも男の子男の子しているところが好きでした。
照れ屋なところが好きでした。
怒られたときの拗ねたような表情も声も好きでした。
寝起きで聞き取りずらい声だって好きでした。
人当たり柔らかで素直なくせに、変なところ頑固で納得できなければ自分を曲げないその心の在り方が好きでした。
言葉を選ぶのがへたくそで、何回も失敗して、それでも逃げずに向き合う姿が好きでした。
彼の、わたしを呼ぶ声が大好きでした。
彼の出演した舞台の中、彼のセリフではなかったんですが「人が人を呼ぶとき、その名前には想いが宿る」のような言葉がありました。
彼がわたしを呼ぶ声はいつだって優しかったけれど、わたしは少しでも優しくしてあげられたんだろうか。
彼を呼ぶわたしの声が優しいものであったならいいのに。
いろいろありました。本当に、もういろいろあったんです。
細かに書き出したら卒論かよって量になってしまうし、自慢話にしかならないのかもしれないし、恨みつらみばかりの怨念ばかりになるのかもしれない。
なんでいまさらだなんて、そんなのわたしが一番思ってる(笑)
もうこれ以上どうしていいかわからないっていうのが正直な気持ちです。
彼のためにわたしがなにかしてあげられる気もしないし、最近は口を開けば文句が出てくるし、手紙を書けばいじわる言っちゃう。
これはもう引き際ですよね。
でもね、好きなんです。
たぶん顔を見て話をしたら降りられなし、同じことの繰り返しになる。
なんて不毛なんだろう。
嫌われたくはないので、ここでおしまい。
最後に会って一言「ありがとう」と伝えたかったけれど、泣かずに話せる自信がないのでなにも言わずにサヨナラしようと思います。
いままで2年半たくさん手紙を書きました。
いつか「またね」ではなく「サヨナラ」と書く日がくるんだと思っていました。
でも実際は「またね」の言葉で終わった手紙が最後でした。
なんて一方的で悲しい関係なんだろう。
それでもわたしは彼のファンになれてよかったと思うし、なにひとつ後悔はしていません。
もし、なにか心残りがあるとすれば彼が夢を叶える姿を見届けられなかったことかな。
サヨナラ、大好きな人。
どうか、どうか、幸せになってください。